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「愛国心教育」の危うさ

 6月4日付の十勝毎日新聞の討論広場に「愛国心」を養うことを教育の「目標」に据えることに賛成する内容の二つのご主張が掲載されたので,まず,熊原氏の主張について,反論したい。
 まず,5月29日付の私の主張について,「『愛国心』をどのようにとらえられているか定かではない」とされているが,そのとおりである。愛国心の内容を明確に定義することが不可能なことは,熊原氏が調べた辞書でも「自分の国を愛すること」と抽象的にしか,書かれていないことからも明らかである。たとえば,私にとっては憲法9条に違反してイラクに自衛隊を派遣したり,日の丸君が代教育に反対する教員を思想良心の自由を侵害して処分したりする「国」を愛することはできない。これを批判し,これを改善していくことで,いい「国」にしたいと思う。私の意見とは反対に,イラクに自衛隊を派遣したり,君が代を強制してでも歌わせるような「国」を愛する人もいる。このように一義的に明らかでなく,法律ができてからいかようにも解釈できる「愛国心」を教育の「目標」として教員に指導させる仕組みを作ろうというのが,今回の改正案なのである。
 次に,熊原氏は人が成長した後に,国をにくむに至った場合には「思想・良心の自由」として許容されるが,その判断ができるようになるまでは,人が成長する出発点の一つとして愛国心教育を行うべきだとする。この主張は子どもには「思想良心の自由」を保障しなくていいと言っているのに等しい。憲法は大人だけではなく子どもにも基本的人権を保障している。私も熊原氏も引用している最高裁判決が「子どもが一個の人間として・・」と判示しているのは子どもの権利主体性を当然のこととして認めているからである。日本も批准している子どもの権利条約でも同様に保障されている。
 最後に熊原氏は,「何らかの理由で国をにくむに至ることは,死ぬまで日本人であるという逃れられない現実からみて,ある種の自己否定である」と主張する。政府や官庁の行為により人権侵害を受けた人や冤罪事件の被告人等がそういう国を愛せなくなったとき,それを「自己否定」というのは愛国心教育の危険性を端的に示している。国を愛せない人は自己否定すなわち「日本人ではない」という排除の思想に他ならない。このような考えはいじめ,仲間外れよりも更に根の深いとても悲しく,危険な考えである。

 「愛国心」という言葉は,「非国民」という言葉を連想させる。

斉藤道俊 2006/06/01



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