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教育基本法「改正」の理由はない

 6月4日付の十勝毎日新聞の討論広場に掲載された,「愛国心」を養うことを教育の「目標」に据えることに賛成する大野清徳氏の主張について,反論したい。
 まず,卑劣な事件の背景に教育基本法の問題があるとのご主張と理解したので,その点について反論したい。教育基本法は前文で「われらは,さきに日本国憲法を確定し,民主的で文化的な国家を建設して,世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。」とし,続けて「われらは,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期する・・・」としている。個人の尊厳を重んじというのは,自分だけではなく他者をも同じく個人として尊重するという考え(個人主義の正しい理解)である。何をしても自由であるという考えではない。「卑劣な事件」は他者の人権を侵害する行為であり,教育基本法の考えに反するものである。教育基本法には罪はないばかりか,教育基本法の考えが浸透すれば「卑劣な事件」は少なくなるのである。また,大野氏がいう「他人や他国を思いやれる心」は,上記教育基本法前文や1条で説かれていることである。結局,大野氏の主張は教育基本法を「改正」しなければならない理由にはなっていない。教育基本法の目指すもの,すなわち,憲法の理想を実現していくことこそ肝要である。
 次に,「愛国心」=「戦争」と結び付けるのは,行き過ぎた思想家に多く見受けられるとするが,「愛国心」教育が「軍国主義」「国家神道」と結び付いて,日本が悲惨な戦争に突入し,多大な加害と犠牲の果てに,敗戦を迎えたのはわずか61年前のことである。憲法「改正」により集団的自衛権を持ち戦争をできる国にしようとしている動きと教育基本法「改正」の動きが無関係であると考えるのは楽観的に過ぎるのではないだろうか。
 最後に,「そもそも国家というのは,家族の集合体であり,国民皆が日本国という家族の一員であります」との趣旨が,日本国は家族だから家族の一員である国民は批判することなく無条件に愛せ,批判する人は家族(日本)ではない,ということであれば,熊原継子氏の「日本人であることの否定」の考えと同様に大いに問題である。
 ものごとについて自由に考え,他人の人権を侵害しない限り,自由に表現できる社会こそ,活力があり,進歩がある,いい社会だと思う。そういう自由で民主的な社会を実現したいものである。

斉藤道俊 2006/06/10



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